荘園(日本史用語) のバックアップ(No.6)
荘園とは、日本の歴史において、古代から中世に施工された土地制度である。 荘園制度発足以前
古代の日本では、天皇や豪族がそれぞれ自領の土地を支配していた。この方法では土地制度にばらつきが生じ、効率的に年貢を回収することができなかった。645年の大化の改新後に、班田収授法による公地公民制が敷かれることとなった。 荘園整理令
朝廷は743年、墾田永年私財法を発令した。これは、耕作した土地を永遠に所有することを認可する制度であった。これにより公地公民制度が崩壊し、資本を持つ中央貴族・大寺社・地方の富豪などが活発に開墾を行い、大規模な土地、いわゆる荘園の私有を行うようになった。 荘園の終焉
源頼朝が幕府を設立した1192年、土地ごとに地頭が設置された。地頭は警察権や荘園の管理権、年貢の取り立て権を有したが、次第に横暴な権力者と化し、「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざが生まれるほどであった。その最もたる例に、「阿氐河荘「紀伊国)民の訴状」がある。「ヲレラカ(俺等か?または吾等か?) コノムキ(麦) マカヌ(蒔かぬ)モノナラハ メコトモ(女や子ども)ヲ ヲイコメ(追い込め) ミヽ(耳)ヲキリ ハナヲソキ カミヲキリテ、アマニナシテ、ナワホタシ(縄絆)ヲウチテ、サエ(苛)ナマント候ウテ・・・」で知られるこの文面は、当時の地頭の横暴さを如実に表す史料として教科書に掲載される。 コメント
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