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最期の言葉一覧(日本編)
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最期の言葉一覧(日本編)
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8 (2023-11-22 (水) 01:33:54)
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10 (2023-11-26 (日) 01:18:20)
11 (2023-11-26 (日) 06:26:56)
12 (2024-03-20 (水) 14:03:02)
13 (2024-09-27 (金) 13:23:15)
ここでは、日本の歴史上に生きた人物や芸能人などの最期の言葉についてそれぞれ記しています。
天皇・執権・将軍
言葉
人物
死亡年月日
死因
日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん
崇徳上皇
1164年9月14日
病死
尼ぜ、私をどこへ連れて行くのだ?
安徳天皇
1185年4月25日
*1
入水
出でいなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな
源実朝
1219年2月13日
暗殺
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・
北条義時
1224年7月1日
病死
業鏡高く懸げ 三十七年 一槌にして打ち砕き 大道坦然たり
北条時頼
1263年12月24日
病死
先に行く あとに残るも 同じこと 連れて行けぬを わかれぞと思う
徳川家康
1616年6月1日
病死
▲
▼
藩主・幕臣・家老・藩士
言葉
人物
死亡年月日
死因
新玉
(
あらたま
)
の年にまかせて咲く花の名のみ残らば
魁
(
さきがけ
)
と知れ
板倉重昌
1638年2月14日
戦死
西へちろり東へちろりあかつきの明星の如き我が身なりけり
真田信之
1658年11月12日
病死
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
大石内蔵助
1703年3月20日
切腹
所宝惟賢
大岡忠相
1752年2月3日
病死
なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり
上杉鷹山
1822年4月2日
病死
今更に何かうらみむうき事も 楽しき事も見はてつる身は
松平定信
1829年6月14日
病死
一、弟久光の長男又次郎を継嗣とする。一、又次郎は斉彬の女暐姫の婿養子とする。一、斉彬の世子哲丸は幼少であるので、又次郎の順養子としたい。
島津斉彬
1858年8月24日
病死(暗殺説アリ)
なき数に よしや入るとも 天翔り 御代をまもらむ すめ國のため
松平春嶽
1890年2月6日
病死
真心の あるかなきかはほふり出す 腹の血しおの色にこそ知れ
林忠崇
*2
1941年1月22日
老衰
琴となり 下駄となるのも 桐の運
▲
▼
源平争乱~室町の武将
言葉
人物
死亡年月日
死因
正清はどこか、金王丸はいないか、義朝は今やられた!
源義朝
1160年2月11日
暗殺
我れに木太刀の一本なりともあれば
あしくきらば、しや汝がかほにくいつかむずる
*3
源義平
1160年3月4日
斬首
保元のむかしは、矢一本で二人の武者を射殺したもの。嘉応の今は、一矢で多くの兵を殺してしまった。南無阿弥陀仏。
源為朝
1170年4月23日
自害
頼朝が頭を刎ねて、我が墓前にかくべし
平清盛
1181年3月27日
マラリア
日来はなにともおぼえぬ鎧が、今日は重うなったるぞや。所々で討たれんより、一所でこそ討死もせめ
木曽義仲
1184年3月4日
戦死
これ見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の、自害する手本よ
今井兼平
波の下にも、都はございます
平徳子
1185年4月25日
入水
見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん
平知盛
六道の道の衢に君待ちて弥陀の浄土へすぐに参らん
武蔵坊弁慶
1189年6月15日
戦死
後の世もまた後の世もめぐりあへ染む紫の雲の上まで
源義経
早々宿所に火をかけよ、敵の近付く
出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
源頼朝
1199年2月9日
落馬(糖尿病?)
罪業深き悪念なれども、われもかように思ふなり。いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん
楠木正成
1336年7月4日
戦死
今はこれまで
新田義貞
1338年8月17日
自害
かへらじと かねて思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる
楠木正行
1348年2月4日
自害
▲
▼
戦国
言葉
人物
死亡年月日
死因
少なくとも三年はわしの死を隠せ
武田信玄
1573年5月13日
病死
四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒
上杉謙信
1578年4月19日
病死
光秀か、是非もなし
織田信長
1582年6月21日
*4
自害
心知らぬ 人は何とも 言はば言へ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ
明智光秀
1582年7月2日
落ち武者狩り
つゆとをち つゆときえにし わが身かな なにはのことは ゆめのまた夢
豊臣秀吉
1598年9月18日
病死
契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも
大谷刑部吉継
1600年10月21日
*5
自害
筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり
石田治部少輔三成
1600年11月6日
斬首
祈るぞよ 子の子のすへの 末までも まもれあふみの 国津神々
井伊直政
1602年3月24日
傷死
井伊直政が先に死んだら、私も長くないだろう
榊原康政
1606年6月19日
病死
死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば
本多忠勝
1610年12月3日
病死
先に行く あとに残るも 同じこと 連れて行けぬを わかれぞと思う
徳川家康
1616年6月1日
病死
曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
伊達政宗
1636年6月27日
病死
咲きしより今日散る花の名残まで 千々に心のくだけぬるかな
馬上少年過 時平白髪多 残躯天所許 不楽是如何
▲
▼
幕末
言葉
人物
死亡年月日
死因
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
吉田松陰
1859年11月12日
斬首
咲きかけし 猛き心の一房は 散りての後ぞ 世に匂いける
*6
井伊掃部守直弼
1860年3月24日
暗殺
▲
▼
政治家・軍人
言葉
人物
死亡年月日
死因
我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば
東条英機
1948年12月23日
絞首刑
さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき
散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは
今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ
▲
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学者
言葉
人物
死亡年月日
死因
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僧侶・侠客
言葉
人物
死亡年月日
死因
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小説家・脚本家
言葉
人物
死亡年月日
死因
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商人
言葉
人物
死亡年月日
死因
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女性
言葉
人物
死亡年月日
死因
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歌舞伎役者
言葉
人物
死亡年月日
死因
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落語家
言葉
人物
死亡年月日
死因
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漫画家
言葉
人物
死亡年月日
死因
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芸能人
言葉
人物
死亡年月日
死因
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