笑点とは、日本テレビ系列で毎週日曜日17:30~18:00に放送されるバラエティ番組。
収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼頃に行われ、1回の収録で2〜3週分収録する。 番組の前半は演芸コーナーで、司会者が会場の客席からゲストを紹介するのだが、ゲストは落語、漫才、漫談、コント、マジック、物真似など多彩。過去には演芸コーナーの時間帯に若手落語家による大喜利を行うこともあった。現在、若手による大喜利はBSの「笑点特大号」で見ることができる。なお、現在の出演者のうち。若手大喜利の出身者は春風亭一之輔、林家たい平、桂宮治、そして現司会者の春風亭昇太である。 番組の後半は『大喜利』コーナーである。落語家が公演の際に舞台上に上がる時の動きを踏襲した演出が導入され、笑点のオープニング曲を出囃子として、曲に合わせて上手からメンバーらが1人ずつ入場するという仕組みになっている。 現在では小遊三→一之輔→たい平→晴の輔→好楽→宮治→山田の順に着席する。そうして、メンバーの顔見せのあとに司会者が拍手とともに登場する。 『大喜利』コーナーは司会者があるお題を出して、そのお題に見合った回答を出す際に、その回答が素晴らしいものであると判断された場合は座布団をもらうことができ、よくない回答を出すと座布団が没収される。原則は三問構成だが、まれに司会者が間違えて二問めで終わらせてしまったことがある*1。また、1996年の香港でのロケの際は四問で締めた。 座布団が没収されるケースは以下の通りである。
司会 春風亭昇太 2016年に6代目司会者に就任。2006年からレギュラー回答者として出演していた。司会者としては「問題児を抱えた先生」スタイルであり、問題中の配役を無視したり、出題の裏をかいた回答には容赦なくダメ出しする。紋付きの色は銀鼠色。 回答者 三遊亭小遊三 山梨県大月出身の田舎者。下ネタ担当だが、とにかくネタが危ないので司会者から「時間帯を考えなさい」「一体いくつなんですか」「少し下半身から離れなさいよ」などとツッコまれる。ひどい場合は、その日の回答がほとんど下半身ネタに集中したことも。自分を「福山雅治(横浜流星)に似てる」「アラン・ドロンに似てる」と発言し、司会者を呆れさせる。紋付きの色は水色。 春風亭一之輔 2023年2月5日放送分の大喜利から、2022年9月30日に亡くなった6代目三遊亭円楽の後釜として加入。元々若手大喜利回答者として出演していたこともあってか、初回から「目が笑っていない」「やや図々しい」(いずれもたい平談)と評されている。かつての円楽のように司会者をディスったり、桂宮治とレスバを繰り広げている。紋付きの色は5代目圓楽を彷彿とさせる濃紺(ただし若干紫がかっている)で、2023年4月30日放送回でお披露目された。 林家たい平 元は若手大喜利に出演していたが、2004年秋から師匠こん平の代理として参加し、2006年から正式メンバーとして就任。三遊亭小遊三と両端でお互いの出身地を貶しあう秩父大月代理戦争ネタは爆笑もの。紋付きの色はオレンジ。 三遊亭好楽(旧:林家九蔵)(■→■) 正統派の優等生タイプだが、本業よりおしぼり配りなどフリーター仕事が多い事をネタにされる。他のメンバーのキャラが濃すぎてなかなか目立ちにくいため、近年は桂宮治と「チームマカロン」を結成している。 一時三遊亭小遊三のメンバー入りとともに番組を離れ、落語家としての修行を積んでいたが、桂才賀の降板にともない復帰し、現在に至る。紋付きの色はピンク→水色*2→ピンク。 桂宮治 2022年1月、林家三平の後任としてメンバー入り。レギュラー出演していた若手大喜利からの昇格。たい平とよく似た明るく元気なやかましキャラで大喜利を回す。初登場からは自前の銀鼠色で出演していたが、2022年2月6日の放送でお披露目された色紋付が若草色であったため、「回答者時代の桂歌丸師匠の色を受け継いだ!」と話題になった*3。2019年5月に放送された回で、大喜利メンバーのたい平が宮治を「三平の後釜に入ったらどうか」と評する回答をしており、それが的中することとなった。かつてのたい平のように山田君をディスって突き飛ばされたり、かつての円楽のように、世相に切りこんだ回答をすることも。 立川晴の輔 2024年4月7日に林家木久扇町の後任として発表された新メンバー。立川志の輔の弟子。2019年9月15日や2022年7月17日放送の地上波大喜利に六代目円楽の代理として出演歴あり。本家大喜利に立川流所属の正式な出演者*4が出たのは、大師匠の立川談志が降板した1969年3月以来54年ぶり。 座布団運び 山田隆夫 1984年から体調不良で降板した松崎真の後任としてメンバー入り。元ずうとるびのカス歌手。座布団運び歴は歴代座布団運びの中で最長。紋付の色は朱色(番組上では小さい子供にもわかりやすくするため「赤」)。 実は「ちびっこ大喜利」のメンバーとして早い時期から出演しており、出演歴の長さでは木久扇に匹敵する。現存する最古の映像(1973年)の浅草での大喜利では五代目三遊亭圓楽と一緒に写っている少年がおり、その少年こそ幼き日の山田である。 自身を揶揄った回答者を突き飛ばすのがお約束だったが、現在は出演者がほとんど高齢化していることで、舞台袖から顔をのぞかせて泣き真似する程度にとどめている。 三遊亭愛楽 山田隆夫のアシスタント。若手大喜利にも回答者として出演経験あり。
立川談志 笑点の創始者。ご存知立川志らくの師匠。アメリカではやっていたブラックユーモアを好み、現在だったら炎上するような過激なお題を出して大喜利を回していたが、それに「日本ではまだブラックユーモアを理解できる人はそう多くない」「日曜日の夕方にはそぐわない」と異を唱えた歌丸や五代目圓楽と対立し、激怒した歌丸らが一時降板するといった事態にまで発展した。5代目圓楽による司会の笑点に対しては「どうでもいい」というスタンスをとっていた模様。 自殺を図ろうとしたことがあるが、木久扇の師匠・林家彦六の説得で思いとどまったという経歴がある。 前田武彦 視聴率低下や初代司会者立川談志と回答者たちとの軋轢で番組の存続が危ぶまれていたところに司会者就任。回答の方式を現在のアットホームな形式に切り替え、回答者に色紋付を正式に導入した功労者でもある。 1970年12月に降板。 三波伸介 てんぷくトリオのうちの一人。江戸弁混じりの強烈な司会が特徴。キャラに例えて言うなら「ヤクザの親分」「牢名主」。大柄な体躯で、自身の体格を揶揄われた時には全部座布団を没収している。「てんぷくトリオ」でゲスト出演した際、先代司会者である前田武彦が飛行機の欠航で収録に来れないという事態が起き、そこで代役として司会を務めたことがきっかけとなり、その後正式に就任した。客席に座って冒頭のあいさつを行い、その挨拶方式は五代目圓楽以降も引き継がれている。1982年12月8日、家族が不在の間に自宅で突然倒れて解離性胸部大動脈瘤破裂により急逝。翌年の正月特番は愛川欽也が司会を務めた。 五代目三遊亭圓楽(■→■) 笑点の黄金期といえばまず間違いなくこの人。通称「お耳の恋人」。1966年初回の放送から回答者として出演していたが、1977年に師匠・圓生に「落語の修行をもっと積みなさい」とアドバイスを受け、一時的に卒業。1982年に三波が急逝してからは復帰して司会を勤めた。本番中でも弟子の楽太郎や好楽にダメ出しすることがあったという。また、顔が長いため、弟子の楽太郎や歌丸に馬関係のネタを振られ、座布団を没収するのもお約束。1985年にかなり高額の借金をしながらも自身の寄席「若竹」を建設し、一度だけそこで大喜利を行ったこともあるが、設立から4年後に閉鎖し、しばしばそのことも番組上でネタにされていた。 2005年秋から体調不良で欠席し、2006年5月に笑点40周年の節目をもって番組を引退した。2007年に落語家を引退し、2009年逝去。 桂歌丸(■→■) 1966年5月の初回から出演していたMr.笑点。六代目三遊亭円楽とのやり取りはお茶の間を賑わせていたが、これは歌丸の楽太郎に対する助言の賜物。回答者全員の座布団全部を一斉に没収する通称「歌丸ジェノサイド」はあまりにも有名。2016年5月の50周年記念回を持って番組を勇退し、「終身名誉司会」の称号を贈られるも「もう笑点」などには時折出演していた。2018年7月2日、ミスター笑点は天国の高座へと旅立った。それ以降は「永世名誉司会」の称号を与えられ、オープニングに登場し続けている。回答者時代や司会者に就任してしばらくは黄緑色の紋付を着ていたが、初代林家木久蔵が林家木久扇を名乗ってからは深緑色に改めている。なお、逝去された際には深緑色の紋付を着せられて火葬されたという。
柳亭小痴楽 柳家小きん 林家こん平のピンチヒッターとして、1969年から70年のおよそ1年間出演していた。 林家こん平 1966年初回放送からの古参メンバーで、大食いでチャーザー村出身の田舎者としてのキャラをウリにしていた。下品なネタが多いが、稀に高尚なネタを出す。2004年秋ごろから愛弟子のたい平に毒を盛られたことによる多発性硬化症により欠席。2006年の笑点40周年記念SP後にたい平がレギュラーになってからも、スタッフ・メンバーの計らいで降板ではなく休演中ということになっており、リハビリに励んでいた。5代目圓楽の追悼番組や、24時間テレビにゲストとして出演している。2020年4月に体調不良で入院し、余命宣告を受ける。同年12月17日逝去。 四代目三遊亭小圓遊 放送初回から参加。当初は「三遊亭金遊」名義で出演していた。一人称を「ボクちゃん」としてキザキャラで通し、歌丸とは「ハゲ」「バケ」(お化け)などと罵倒合戦を繰り広げ、さらに両氏の奥さんの名前が「ふじこ」であったこともネタにして罵倒合戦を行っていた。ただし、歌丸と小圓遊はプライベートな場では親友同士で、歌丸と不仲という設定はあくまでネタであったのだが、小圓遊本人はキザキャラ&歌丸と不仲という設定を保つことのストレスから飲酒の量が増えていき、ハワイ収録の際にはろれつが回らないこともあったという。そうして、過度の飲酒がたたって食道静脈瘤破裂により43歳の若さで死去。 六代目三遊亭圓窓 桂才賀(旧:古今亭朝次) 独特の人相だったため、自らを「泥棒キャラ」として売り込んでいた。5代目圓楽が視界に就任し、小遊三が加入してからはキャラがかぶるようになり、一時的に番組を離れ、修行に専念していた好楽が復帰するのと入れ替わりに番組を卒業した。 三笑亭夢之助 三遊亭圓窓の後任として1977年からメンバー入りした。毒舌キャラを売りにしていたが、「市販の風邪薬は効かない」と回答したことがスポンサーの龍角散に知られてしまい、龍角散が「夢之助さんを降板させないなら、うちはもうスポンサーを降りる」と『笑点』に苦情を申し立て、1979年に降板した。笑点メンバーの中では最短の出演歴である。現在は落語家を引退している。 二代目林家三平 2016年5月22日の桂歌丸勇退&春風亭昇太司会就任とともにメンバー入りした。若手大喜利ではそれなりにウケていたのだが、毎週日曜の大喜利では自身の持ち味を生かせず、回答が特定の層向けのものばかりでウケにくいことが多く、データ放送では毎回座布団を全部没収されていた。 春風亭昇太の結婚までは独身ネタでどうにかこうにか笑いを取っていた(とはいえ、笑いをとれていたのも木久扇や六代目円楽のサポートによるところが大きい。会場に爆笑の渦が巻き起こったときですら、山田隆夫の邪魔が入ったためである))のだが2019年度以降は迷走が続き、在籍していた5年の間に一度も座布団10枚の獲得を果たせず、2021年12月をもって卒業した。 六代目三遊亭円楽(旧:三遊亭楽太郎) 1977年から師匠馬圓楽の後釜として回答者に就任。当初はメンバー最年少ということもあってか日和見的な回答が多く、なかなか座布団が貰えなかったが、歌丸の「私をネタにしなさい」と助言を受けそれ以来嘗ての歌丸vs小圓遊を彷彿とさせる罵倒合戦を繰り広げる。 インテリキャラを売りにした回答をかまし、歌丸を「ハゲ」「ガイコツ」「ミイラ」「(クソ)ジジイ」「仏」「出棺」「お迎えが近い」「冨士子(歌丸の奥さん)に言いつけるぞ」と罵り、座布団を没収されるのはもはやお約束。また、時に冨士子女史すらいじり、圓楽並びに歌丸からは座布団を没収されることがお約束であったが、歌丸がそれに悪ノリすることもしばしばあった。「歌丸ジェノサイド」のトリガーは大体この人。初めて「やるかジジイ」ネタを使ったときは歌丸が司会者席からすっ飛んでいき、山田に座布団を全部回収させる珍事が発生した。 歌丸勇退後は昇太に「司会を譲れ」と揺すって座布団を没収されることがお約束の展開であったが、昇太の司会就任には賛成の立場で、「自分が回答者じゃないと面白くないじゃないですか」と述べている。桂宮治のメンバー入り後、脳梗塞により倒れ、それによるリハビリと既往症の肺がん治療・療養のため2月13日放送より番組を休演しており、後述する若手大喜利メンバーや上方落語家など自身と親交の深い人物が代理出演として空席となった2枠に座り回答者を務めていた。2022年8月に久々に高座入りしたものの、2週間後に肺炎により入院。同年9月30日に天国の高座へ旅立ち、番組への復帰は叶わなかった。それ以降は2023年3月12日以降のオープニングでも桂歌丸のアニメーションと一緒に二宮金次郎に扮した円楽のイラストが登場していたり、たい平に「司会者の後ろにいる」とネタにされるなど、円楽という存在を忘れないための工夫が随所でなされている。 林家木久扇(旧:初代林家木久蔵) 普段は答えが単純すぎるなど与太郎キャラだが、稀に司会者を唸らせる回答を出し、「頭の配線が繋がった」と評される。自身のプロデュースする木久蔵ラーメンは「まずい」「ワニの口に放り込んだらワニが即死した」「畑の肥やしにしたらみんな枯れちゃう」などとメンバーからこき下ろされるが、これは「貶めたほうがかえってよく売れる」という作戦で、実際は上品な味わいの醤油ラーメンである。紋付きの色は黄色。出演50周年を記念して、オープニングの作画を担当したり*5、Youtuberの大御所・HIKAKINに弟子入りしてKIKUKIN名義でYoutuberとしての活動も行い、番組終了後に動画を配信していた(現在は更新が止まっている)。 2023年8月27日の24時間テレビのチャリティー大喜利ののちに、2024年3月をもって番組を卒業することが本人から語られ、そうして2024年3月31日の放送をもって番組を卒業した。 座布団運び 桂文字助 毒蝮三太夫 小野千春 松崎真 「悪人面」の風貌であるが、性格はとてもやさしく、「手を挙げて 横断歩道を渡りましょう」はおなじみのキャッチコピーとなっている。これは、愛息を交通事故で亡くしたという出来事が背景にある。三波伸介司会時代には「マントを脱いだマントヒヒ」などはまだいい方で、紹介されるときはいつも人間扱いされないというお約束があった。2006年の笑点40周年記念の際には祝辞を述べており、赤い紋付で登場している。2015年に死去。
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