どうする家康とは、2023年放送のNHK大河ドラマである。
舞台は戦国時代から江戸時代初期で、主人公は江戸幕府創設者・徳川家康である。徳川家康を主人公とする作品は、子の秀忠や孫の家光と共にトリプル主人公となっている『葵徳川三代』以来23年ぶり、単独であれば『徳川家康』以来40年ぶりとなる。 弱虫なプリンス・松平元康が周りの助けを借りつつ、目の前に尽く立ちはだかる壁を前に「どうする?」と悩みながらも織田信長や武田信玄、豊臣秀吉や真田昌幸ら傑物と渡り合い、ただひたすら一生懸命に戦乱の世を生き抜き、天下人・徳川家康となって200年にもわたる江戸幕府の礎を築く過程を描く。まさに「名は体を表す」作風である。 脚本はテレビドラマ「コンフィデンスマンJP」、映画「探偵はBARにいる」シリーズを手掛けた古沢良太氏が担当する。 主演は松本潤。元「嵐」のメンバーが大河ドラマの主演というのは今回が初めてである。なお、松本氏は2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回の冒頭に同役で顔見せとして冒頭に出演しているため、大河ドラマへの出演自体は今回が2度めである。 ナレーションは寺島しのぶ女史で、家康を「神の君」「神君家康公」と褒め称えているものの、ドラマ内の家康はナレーションとは正反対の行動をとったり、ナレーションとは反対の事態に見舞われたりと、いわゆる意図的に大本営発表的なものになっているのも特徴である*1。 インターネット上では、ナレーションが春日局(三代将軍・徳川家光の乳母。本名は福)が幼き日の家光に語りかけていると推測する意見もあり、2023年11月27日付のX(旧Twitter)における公式アカウントからの発表で、その考察が的中することとなった(役名は「福」)。
人物について記述する際、史実の詳細(史実とドラマの描写の相違など)はあくまでも最小限にとどめていただくようお願いします。 なお、出演者の敬称は省略させて頂きました。
本作の評価と言えば、賛否両論と言ったところであろう。 主演の松本潤がこれまで演じてきたキャラとはかなり異なる人物像を演じていることや、「狡猾な策略家」というよりは「泣き虫な若武者」という描写が、これまで家康を題材とした作品とは異なるためにどうしても敬遠されがちである。 丸根砦を突破する際や信長が大高城に向かう際の騎乗シーンにおける馬のCGは、「本物の馬くらい使えなかったのか」「どこかリアリティに欠けている」といった否定的な声もあった。 「家康からはこう見えていたのではないか」という目線で描写がなされているが、どうみても紫禁城にしか見えない清洲城やミッドガルのような本證寺、説明を分かりやすくするために地形や地勢をおろそかにしたシーンがどうしても目立ってしまう。昨年の「鎌倉殿の13人」が大河ドラマの中でも最高傑作と称されるほどであったため、その反動が大きかったと言える。 しかし、馬のCGには再評価する声もみられたり、清洲城のシーンでは「天守閣が存在しない」という史実を取り入れている箇所もあるなど、これからが大いに期待される作品である。人物描写にしても、足利義昭や明智光秀が2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では主人公補正もあってか高潔な人物として描写されていたが、本作品ではお世辞にも人格者とは言いがたい性格で描写されている。とはいえ、義昭は将軍としての威厳を見せている描写もあるし、光秀は当時の宣教師から「小心者で残忍」とかなり辛辣に記述されているのである。家康本人も、瀬名と信康の死をきっかけに、月代を剃り茶筅髷にして大きなイメージチェンジを図ったほか、泣き虫な若武者から策略家としての一面を徐々に見せるようになり、従来の家康像に近づいてきている。着物の色もそれまでの空色から濃紺に代わっており、さらに、賤ケ岳合戦回以降はひげを生やしたので貫禄が出ている。そして、秀吉の死去回の翌週以降、不自然さを感じさせない巧妙な老けメイクにより「『葵 徳川三代』で主役の家康を演じた津川雅彦氏に非常に近くなっている」と評されるようになった。 これは昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主人公の北条義時のビジュアルが、物語の進行に伴い変わっていったこと*5を思い起こさせる。 作品の好みは人それぞれであるし、批評をするのもある程度は自由だが、だからといって「反省会」*6などのタグをつけてTwitterやPixivなどのSNSを荒らしたり、「こんな作品が好きな人の気が知れない」と中傷したりするのはやめよう。