日本史年表 のバックアップ(No.3)

このページでは、日本史の古代から現代にいたるまでの出来事を年表にまとめている。時代区分は、高校日本史の指導要領に拠った。

古代 Edit

旧石器時代・縄文時代 Edit

紀元前2万年頃現生人類が入植
紀元前3500年頃三内丸山遺跡に定住型の大規模集落が形成
紀元前1500年頃三崎山遺跡(山形県)において青銅刀が使用される
紀元前1000年頃亀ヶ岡遺跡などで遮光器土器が盛んに作られる

弥生時代 Edit

紀元前1000年頃菜畑遺跡(佐賀県佐賀市)や板付遺跡(福岡県福岡市)などでの水稲栽培の開始
紀元前300年頃吉野ケ里遺跡に大規模な環濠集落が形成される
57年倭の奴国王、後漢に遣使し、光武帝から印綬を受ける
107年倭の面土国*1の王・帥升*2が後漢に遣使
180年(推定)倭国大乱
239年邪馬台国の女王卑弥呼、魏に遣使し、金印紫綬を授かる
邪馬台国と狗奴国の抗争激化
266年邪馬台国の台与(とよ)*3が西晋に遣使

大和時代(古墳時代・飛鳥時代) Edit

4世紀中頃(推定)ヤマト王権の成立
369年百済の近肖古王が倭王に七支刀を献上
391年~404年ヤマト王権による朝鮮半島侵攻(第一次倭・高句麗戦争)
413年~5世紀末倭の五王(讃・珍・済・興・武)、中国の南朝に朝貢
464年ヤマト政権によるニ度目の朝鮮半島侵攻(第二次倭・高句麗戦争)
527年筑紫国造磐井(ちくしのくにみやつこいわい)の乱。物部麁鹿火(もののべのあらかひ)により鎮圧
538年(552年説あり)百済の聖明王、経典と仏像を献上(仏教公伝)。儒教もこのころ伝わったと推定される
540年伽耶問題*4で大伴金村が失脚
552年蘇我稲目と物部尾輿が崇仏争論を展開
562年伽耶(任那)が新羅により滅亡
587年丁未の変(蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす)
592年崇峻天皇、蘇我馬子により暗殺
593年推古天皇(歴史上初の女帝)が即位。厩戸王(聖徳太子)の摂政開始
厩戸王、四天王寺を建立
600年史料上初の遣隋使派遣*5
603年厩戸王、冠位十二階を制定
604年厩戸王、十七条憲法を制定
607年小野妹子を隋に派遣する。この時の国書の「日出処天子」という文面が皇帝・煬帝を怒らせることとなったが、当時の隋は外患を多く抱えており、倭が高句麗と同盟を結んで戦争を勃発させることを恐れたので、倭の非礼を許し、答使として裴世清を派遣した。立場上、裴世清は小野妹子より低位であったので、煬帝なりのヤマト政権への意趣返しである
厩戸王、法隆寺を創建

奈良時代 Edit

平安時代(院政以前) Edit

中世 Edit

平安時代(院政以降) Edit

鎌倉時代 Edit

南北朝時代 Edit

室町時代 Edit

戦国時代 Edit

近世 Edit

安土・桃山時代 Edit

江戸時代(幕末以前) Edit

近代 Edit

江戸時代(幕末) Edit

明治時代 Edit

大正時代 Edit

昭和時代(戦前) Edit

現代 Edit

昭和時代(戦後) Edit

平成時代 Edit

令和時代 Edit

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*1 のちの伊都国。現在の福岡県糸島市近辺に相当するとされる
*2 中国の記録に登場する最初の日本人
*3 壱与(いよ)とも。卑弥呼の宗女、いわゆる血縁者。彼女に関する記録はこの西晋への朝貢のみである
*4 伽耶地域の割譲の際、大伴金村が百済側の使者から賄賂を受け取ったとされた
*5 「隋書」には多利思北孤(タリシヒコ)という人物が初の遣隋使として記載されているが、この「多利思北孤」は蘇我馬子説や厩戸王説があり判然としていない

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