アイスランドの歴史 のバックアップ(No.3)
むかし むかしの おはなし
アイスランドは元々無人島だったよ。紀元前300年頃に古代ギリシア人によって発見されていた。らしい...(良く見つけに行くよ...)ピュテアスっちゅう学者が、ノルウェー海まで航海。そこでたまたま島を発見したとされているね。 中世には、「ウルティマ・トゥーレ」FF14じゃないからな!と呼ばれ、一部の国からは「極地」、「北の果て」、 ひとが きてくれた
アルシングでは取引も行われて、ゴジという、神官的な、族長的な人が取引上の治安を抑えたり、価格をいじったりして抑えたりした。銀が重さの基準貨幣になって、実際支払うときにはヴァズマールという羊毛布を主に使っていた。(今となっては価値の差がえげつない)外国の商人は冬を超えるときに農場で生活をして、主人の保護を受ける代わりに農作業とか戦闘を手伝う互酬関係をもった。(御恩と奉公かな?)互酬は冠婚葬祭の時の贈り物でも重要で、社会的な地位を保つために返礼された。返礼には武力支援や詩作も含まれた。(やっぱり昔の日本じゃねえか 日本と名前変えろお前) 年表 キリスト教化
アイスランドの移民の間では異教信仰が優位であった。しかし10世紀までには、キリスト教への改宗を強いるノルウェーからの政治的圧力が増した。ノルウェー王の下で、また王がアイスランドに差し向けた司祭によって、多くの著名なアイスランド人が新しい信仰を受け入れた。1000年に、異教徒とキリスト教徒との間での内戦の可能性が出てきた。アルシングは、裁定によって宗教の問題を解決するために、族長の一人リョーサンヴァトンのトルゲイルを任命した。トルゲイルは、国が全体としてキリスト教に改宗しなければならないと決めた。しかし、異教の神々はひそかに崇拝してもよいとした。 最初のアイスランド人の司教はイスレイブで、1056年にブレーメンの司教Adalbertによって任命された。 10世紀から13世紀にかけては、大麦や小麦、教会用のワイン、建築用に木材が輸入された。輸出品としてはシロハヤブサなどの猛禽類、セイウチやイッカクの牙など希少財が有名であり、他に羊毛布のヴァズマールが他国に比べ安価で良質であり多く輸出された。 年表 植民地時代
13世紀にはノルウェーの介入を誘うことになり、1241年、権勢を誇ったスノッリ・ストゥルルソンが暗殺され、1262年にはノルウェーの事実上の植民地となる。 14世紀以降は干し魚が重要な輸出品となる。干し魚には特にタラが用いられた。干し魚はドイツ商人によって大陸へ輸出され、ヴァズマールに代わって貨幣として用いられるようになる。ノルウェーの他にイギリスも取引や漁業のためにアイスランドを訪れ、ノルウェーと利害を共にするハンザ同盟の商人とイギリス人の間で対立も起きた。漁業が主要産業となり、のちの16世紀のアイスランドの紋章には、王冠を戴くタラが描かれている[4]。 外国による支配、ペストの流行、飢饉、1783年のラキ火山噴火などで人口が大幅に減り、困窮状態に陥る。しかし、18世紀半ば以降さまざまな産業が興り、回復していく。1814年のキール条約により、デンマーク=ノルウェーが解消されたが、アイスランドはデンマーク領として残された。 年表 主権国家体制へ
1904年に自治を達成し、1874年に制定された憲法に基き、1904年からは首相が置かれた。第二次世界大戦中の1940年4月、デンマークがナチス・ドイツの侵攻作戦により占領された。5月10日、イギリスが航路防衛の必要上から、中立であったアイスランドに対し、名目的に侵攻作戦を実施、全土を占領した。 1941年7月7日、アメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、アイスランドのイギリス軍の守備部隊に代りアメリカ海軍が進駐することを発表[。欧州に対して不干渉を貫いてきたアメリカの転換点ともなった。 1944年6月17日にアイスランド共和国として、デンマークから分離・独立を宣言し、初代大統領にスヴェイン・ビョルンソンが選出された。 年表 第二次大戦後
1945年、アイスランド航空の最初の国際便就航。 |