サツマイモは、根茎と食用とする栽培植物の一種である。 画像出典:(上・中)https://botanic.jp/plants-sa/satuma.htm (下)岩崎常正<岩崎潅園>//著『本草図譜』第7冊 巻50菜部柔滑類3,刊写入交. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1287161
中央アメリカ原産だと考えられているが、真の原種は未発見。 中央アメリカでは古くから栽培されており、その後南アメリカ地域や、南太平洋地域の島々に渡っていった。そして一端ヨーロッパに渡来してから、ヨーロッパ経由で東アジアに伝播してていったという。日本へは1597年(慶長2)に琉球の宮古島に入っている。 日本では最初南九州を中心に栽培が広まったが、全国的になったのは江戸時代の後期、青木昆陽による普及があったからである。サツマイモはやせ地でも育ち、しかも栄養価が高いので、救荒作物として優れた性質をもっていた。青木昆陽はそこに目を付け、「蕃薯考」等の書籍を執筆し、一般に向けてサツマイモの有用性を教えることで飢饉による死亡者を減らすことに尽力した。その後第2次世界大戦においてはジャガイモやカボチャとともに全国的な食料不足を補った野菜でもある。 ヒルガオ科の植物で、アサガオに似たラッパ状の花を咲かせる。白い花弁で、中心部分が紫色に染まり、観賞価値の高い花だが、関東などでは日照不足や気温不足で咲かない場合が多い。更に条件が良ければ種子をつけることもある。ただ、種子からの栽培では恐ろしく時間がかかるため,種芋を伏せ込んで苗を作ってから植え付ける方法が手間がかからないので、普通である。 地下の食用部分は塊根といって、根の一部が肥大したものである。表皮が赤いものが一般的だが、皮が白いものや、中の部分が紫色に染まるものもある。根の内部が白く、葉に切れ込みのあるもの(画像下)は牧野富太郎により「アメリカイモ」の名称がつけられている。この系統は江戸時代から存在し、「本草図譜」には「あかいも りゅうきゅういも」の名称がみられる。この系統は、現在も栽培されている。茎は地面をはって長く伸びるが、ウリ科のつる植物などとは異なり他のものには巻き付かない。茎が地面についた部分の節から根を出し、やがてイモをつける。病虫害も少なく、あまり手間をかけずに収穫できる(むしろ肥料を多く与えすぎるなどの過保護な栽培方法では「つるボケ」と言って蔓ばかりが茂ることになり、肝心のイモに養分が十分にいきわたらなくなることがある)ことから、よく子供用の農園体験材料に使われる。 調理法としては石焼き芋が知られ、焼いた石で加熱して、甘味が充分にのったものが石焼き芋屋の屋台で売られる。石焼き芋屋の売り声は、日本の下町の風物詩ともなっている。その他、炊き込みご飯や汁の実、天ぷらなどにされるが、加熱すると甘みが強くなるため、お菓子としての利用も多い。また、九州、特に鹿児島ではこのイモから芋焼酎が作られ名物品になっている。黄金千貫という品種が焼酎用としておなじみである。 また、蔓も食用にすることができ、戦中戦後の食糧難の際には青菜の代わりとして食されていた。現在は蔓を食用にするため品種改良された「すいおう」という品種もある。 我が国では「甘藷」と書き表すことも多いが、中国では「蕃藷」と書き表す。中国で「甘藷」というと、本種ではなくヤマノイモ科のトゲドコロ(ハリイモ、Dioscorea esculenta)という植物である。この植物は琉球で多く栽培されていたが、傷みやすいために郵送や保存が難しく、現在は栽培量が激減している。
沖縄県の八重山諸島で栽培されるサツマイモの一品種で、鮮やかな緑色の葉は切れ込みがなく表面が縮緬状になり、柔らかくなる。栽培地から「ヤエヤマカズラ」の和名でも呼ばれることがある。若い葉を摘んで煮物や浸し物にする。イモは表皮も内部も白色であるが、貧弱で味も悪いので食用にはしない。
追記・修正はサツマイモ食べておなら出してからお願い致します。