風雲児たちとは、漫画家・みなもと太郎氏による「歴史大河ギャグマンガ」である。本稿では、続編にあたる「幕末編」やその前哨戦的な作品「雲竜奔馬」についても解説する。
1979年、作者のみなもと氏は潮出版社の雑誌『少年ワールド』から新連載を依頼されていた。当時はまだ日本史を扱った群像劇的な漫画作品は存在せず*1、「日本史の群像劇があってもいいのではないか」「幕末の歴史を五稜郭の戦いまで描く」との初期構想で開始された。 しかし、みなもと氏は「幕末の源流は関ケ原合戦にある」ということで物語を関ケ原合戦から開始させたのである。『少年ワールド』が廃刊になり、『コミックトム』へ移籍したのちもその方針は途切れず、延々と江戸時代初期(徳川家光の治世)まで話が続き、ダイジェストは江戸時代中期の明和年間、すなわち杉田玄白らが「解体新書」の執筆のため活動し始める時期でストップ。その後今度は延々と明和~寛政年間の話が続き、さすがに編集者から「幕末を描くといっていたのに、なんでまだ幕末編に入っていないんだ!」と怒られ、やむなく一部の時期をダイジェスト形式で流すしかなかった。が、それでも江戸時代後期の文政年間、つまり尚歯会(蘭学サロン)が開設された時期やのちの幕末の英傑たちが誕生する時期までしかショートカットしなかった。そうして、天保の改革の前後を描いた時点でとうとう編集者が「いったん打ち切って幕末編から書き直せ!」と怒ってしまった。1997年、編集者からの圧力を受け、みなもと氏は坂本龍馬が江戸を目指して旅に出るシーンで本連載をやむなく終了させた。翌年には坂本龍馬を主人公に据えた「雲竜奔馬」を描き始めるが、そこでみなもと氏が黒船来航後の幕府の対応を延々と掘り下げていたことや、掲載先の雑誌の廃刊など複数の要因が絡みあって、こちらも打ち切りとなってしまう*2。 そうした中でリイド社の『コミック乱』に拾われ、正当な続編にして本来の目的である『風雲児たち 幕末編』が2001年に開始。そうして、2019年まで順調に連載は続いていたが、2020年にみなもと氏の急病により連載は一時休載。そうして、翌年の8月にみなもと氏が亡くなったので連載が再開されることはなく、そのまま未完の大作となった。 余談だが、みなもと氏は創価学会の信者で、かつて同じく学会信者であった静香夫人によれば、みなもと氏は本作を『牧口常三郎と戸田城聖*3の誕生』で完結させる予定であったらしい。みなもと氏は「牧口と戸田の誕生によって日本の本当の希望が生まれた」といつも静香夫人に語っていたという。静香夫人は「みなもと作品の底には日蓮仏法の十界互具と、池田先生から教わった人間観が流れています」と述懐している。
本作は群像劇というだけあって、登場人物数がとんでもなく多い。また、ある人物や歴史的事項の輝かしい側面だけでなく、負の側面も描いているのが特徴である。それ以外にも、特に幕末編では他の作品ではあまり取り上げられない「幕府サイドの細かな対応」を詳しめに描いていることもあって、幕府が不平等条約の締結に至った理由やその思惑がより詳しく描写されており、決して「不平等条約を結んだ幕府=無能」という幕府の思惑を全否定するような描き方にはなっていない(「結果として、それが幕末の動乱に繋がることになった」とは評価しているが)。 本作は「善悪二元論」に基づく「みなもと史観」を楽しむことができる作品で、基本的に「民に配慮した行動をした開明的な為政者」=「善」、「頑迷で自身の出世をひたすら追い求める人物」=「悪」という図式である。例えば、これまで「ワイロを好む守銭奴」として描かれた田沼意次を「善玉」として描き、逆にそれまで「贅沢を引き締めて幕府の財政の安定化を図った」と功績をたたえられてきた松平定信を「頑迷固陋な悪玉」として描いている。 以下は、記事の冗漫化を避けるため、大まかな特徴を箇条書きで示すこととした。
「幕末編」で活躍する人物の幼少期を描いているシーンが多いので、実質「幕末編」の序章ともいうべき章である。ワイド版では龍馬の江戸留学への出発で終わっているが、「幕末編」ではそれに5年さかのぼった楠本イネの石井宗謙への弟子入りからスタートしている。