牧野富太郎 のバックアップ(No.12)
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本項目は、少しでも多くの方に読んでいただけるよう、筆者がかつて膨大なページwiki 概要
牧野富太郎とは、明治時代から昭和時代にかけて活躍した植物学者である。1500種もの植物の品種を発見し、命名したことから「近代植物学の父」と称えられる。我が国に産する野生植物だけでなく、野菜などの農作物や観賞用の花卉、現在は植物には含まれない藻類や地衣類、キノコの研究を行った。 生涯
幼少期
1862年、土佐国高岡郡佐川村の「岸屋」の長男として生まれる。実家は商家で、酒造業も営んでいた。幼いころから植物に興味を示し、野山を駆け回っていたという。父親(3歳の時)、母親(5歳の時)、祖父(6歳の時)を相次いで病で亡くし、祖母によって女手一つで育てられた。祖母は幼少期の牧野が相次いで肉親を失った不憫さから、彼に多くの愛情を注いだという。 青年期
15歳から佐川小学校の臨時教員としておよそ2年間教鞭をとる傍ら、牧野は植物採集やその研究に明け暮れる日々を送っていたが、次第に佐川での勉学だけでは物足りなくなっていた。 ジョウロウホトトギス。マキシモウィッチから図の正確さについて称賛された。
壮年期
1893年(明治24年)、実家の岸屋がついに経営が立ち行かなくなり、破綻してしまった。家財を整理するために帰郷する。このとき当主の牧野は、猶と番頭の井上和之助を結婚させて店の後始末を託し、自らは研究に専念した。 晩年
1927年(昭和2年)4月、65歳で東京帝国大学から理学博士を受ける。このころ発表した「日本植物考察」(全編英語)という論文に「スエコザサ」というアズマザサの突然変異種を発表する。これには、長年苦労をかけた妻に感謝する意図があった。このころ、壽衛の体調は思わしくなくなり始めていたのだった。この論文を発表した翌年、壽衛は55歳で病死した。なお、この「スエコザサ」は「牧野日本植物図鑑」及びその改訂版には収録されていないが、高知県立牧野植物園や東京都練馬区の牧野記念庭園で見ることができる。 逸話
●自身の写真を数多く残している。若い頃はいわゆる「イケメン」で、明治初期に撮影された写真から、その風貌をうかがい知ることができる。また、ユーモア好きで、木々の間から顔を除かせて、「おばけ」のポーズをとって写ったり、頬かむりをしてカラカサタケという大きなキノコを両手に持って踊っている写真もある。また、晩年には目の前に大小3つの「ボウブラ」*1を目の前に並べ、微笑みを浮かべている写真もある。
●牧野が初めて上京した1881年当時、日本は自由民権運動の真っ只中であった。当時19歳の牧野もまた自由民権運動に傾倒したが、この際に坂本龍馬の親族・土居磯之助と知り合い、その交流は牧野が年老いてもなお続いたという。それを踏まえてか、2023年度上半期朝ドラ「らんまん」ではディーン・フジオカ演じる「天狗」こと坂本龍馬が登場し、親戚から心ない言葉を言われて落ち込んでいた幼き日の主人公に「要らん命らぁ、一つもない」と優しく慰め、仲間から「下関にいることになっているはずですきに」*6と呼び止められている。 著作
生前刊行されたもの
「植物学雑誌」(1887~現在) 没後刊行されたもの
「牧野新日本植物図鑑」(1961) 牧野を題材とした作品
●小説
●映像作品
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