十三人の合議制 のバックアップ(No.12)
十三人の合議制とは、鎌倉時代初期の幕府の指導体制を指す歴史用語である。 合議制のあらまし
建久10年(1199年)正月13日、初代鎌倉殿・源頼朝(1147~99)が急死する。 合議制の実態
この合議制のシステムは、頼家が暗愚であったため、頼家による親政を阻止し、頼家の外戚・北条時政ら宿老13人の合議により取り計らい、彼ら以外の訴訟の取次を認めないと定めたことで執権政治への第一歩になったと理解されてきた。 十三人の合議制のメンバー
合議制はどのような結末を迎えたか?
十三人の合議制の成立から数カ月後、頼家の妹に当たる三幡が夭折すると、その教育係であった中原親能はこれを深く悲しみ、菩提を弔うため剃髪し、帰洛した。だが、これをもって完全に政界を引退したというわけではなく、帰洛してからも幕府と朝廷をつなぐパイプのような役割を担っている。
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