キュウリは、未熟果を野菜として食用にする有用植物の一種である。現在の漢字表記は「胡瓜」。 画像出典:http://kplant.biodiv.tw/%E8%83%A1%E7%93%9C/%E8%83%A1%E7%93%9C.htm
蔓性の一年草で、支柱などに絡めて栽培される他、シロウリのように地這栽培されることもある。 葉は掌状葉で、茎や葉に細かく硬い毛が生え、触るとチクチクすることがある。 鮮やかな緑色の果実は細長くて棘があり、新鮮なものほど棘は鋭い。熟すと太くなり、黄色くなって柔らかくぶよぶよになる。 古くはこの熟した果実を食べていたため黄瓜の名で呼ばれていた。しかし熟した果実は酸味が強く、渋みすらあるためだんだんと熟果を食用にすることはなくなった。かと言って、未熟果も青臭さが強く、味も苦いためなかなか食用にはされず、忌み嫌われた。 貝原益軒の『大和本草』には「京畿(けいき)ニハ越瓜(あさうり)(筆者注:シロウリ)多キユエニコレヲ用ヒズ最下品ナリ 性味トモ好マシカラズ タ﹅゛塩ヲツケテ茹(ほしもの)トスベシ」とあるように、ウリ類の中でも下等なものとして見られていたのである。 特に、江戸時代にはキュウリの輪切りが徳川家の葵の家紋に見えるということで、民衆はともかく、多くの武士は畏れ多いとしてキュウリを食べなかった。食用としての大きな広がりは明治になってからである。 漢名の胡瓜は、古代中国の漢王朝の皇帝・武帝が将軍の張騫に命じて匈奴*1に対する同盟を説くために大月氏*2へと赴かせた際に、大月氏との同盟の交渉こそ失敗したが、胡桃(くるみ)や胡麻(ごま)など、胡(北方の異民族)の産物を持ち帰ったことから。隋の煬帝のころには、「胡」の字を嫌い、「黄瓜」の字を用いて表したという。 余談だが、織田信長や朝倉義景の家紋で知られる「木瓜(もっこう)」はかつてキュウリの輪切りを図案化したものであるともいわれていたが、現在はボケの花を図案化したものであるとか、はたまた鳥の巣を図案化したものであるといわれる。 沖縄には、モーウィという珍しいウリがある。これは熟して黄色みをおびた褐色の果実を煮ものや漬物で食用とするキュウリの一種である。沖縄では、かつて宮廷料理の食材に使われたほど歴史の古い野菜である。未熟果は白に近い緑色だが、こちらもキュウリのように利用できる。